『古典を読む 易』から学ぶ——古代中国の智恵と「変化」を生き抜く視点
現代を生きる私たちは、日々さまざまな変化や悩みに直面しています。将来への不安、人間関係の軋轢、組織や仕事での決断など、答えの出ない課題に迷うことも少なくありません。そんなとき、数千年の時を超えて思索のヒントを与えてくれるのが「古典」であり、なかでも東洋最古の智恵の書と称される『易(周易)』です。
本書『古典を読む 易』(暖淡堂書房)は、単に占いの道具として易を扱うのではなく、人生の指針や思考の糧として古典をどのように読み解くべきか、独自の視点と分かりやすい歴史背景を交えて解説した一冊です。今回は本書の要点を辿りながら、その深い味わいと実践的な魅力を紹介します。
■ 独自の視点で捉える「古典」と「漢文」の本質
本書の大きな特徴の一つは、「古典とは何か」「漢文とは何か」という問いに対する独自の解説にあります。
まず「古典」について、本書は「過去の先人たちが同様に悩み、苦しみ、課題を解決しようと模索した知恵の結晶」と定義します。二千五百年以上前、古代中国の斉の宰相であった管仲は「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」と言いました。生活の安定や社会秩序の維持、人間の生き方に対する悩みは、時代や環境が変わっても本質的には変わりません。現代の課題に対する解決のヒントが、過去の思索の中にすでに残されているからこそ、古典を読む意義があるのです。
また、「漢文」に対する見方も明快です。漢文とは、中国の古代語という異言語の文章を、日本の先人たちが「訓読(書き下し文)」という独自の技法を用いて日本語の文章構造に置き換えて読み解いてきたシステムです。日本語と漢文(中国語)は語順も文法構造も大きく異なりますが、返り点や送り仮名を付けることで、私たちは漢文を日本語の文脈として理解できるようになりました。
本書は、漢文を難解な古典として遠ざけるのではなく、「訓読によって日本語の中に組み込まれた知恵の文章」として捉え直すことで、原典の言葉に直接触れる面白さを教えてくれます。
■ 中国古代史の振り返りと『易』の成立背景
『易』という書物を深く理解するためには、それがどのような歴史的背景の中で生まれたのかを知ることが不可欠です。本書では、黄河文明のあけぼのから周王朝の成立に至る中国古代史が分かりやすく振り返られています。
伝承によれば、易の根底にある「八卦(はっか)」は、古代の聖人である伏犠(ふっき)が自然界の観察から生み出したとされます。その後、農耕や薬草の智恵をもたらした神農氏などを経て、易の体系は歴史の大きな波とともに形成されていきました。
歴史上、決定的な役割を果たしたのが、紀元前十一世紀頃の殷(商)から周への王朝交代期に登場する「文王(西伯)」です。当時、殷の最後の王である紂王(ちゅうおう)は暴虐な政治を行っていました。徳を備え人々から信望を集めていた周の文王は、紂王に警戒されて羑里(ゆうり)の地に幽閉されてしまいます。
極限の危機と幽閉生活の中で、文王は八卦を二つ重ねた「六十四卦」のそれぞれに解説の言葉(卦辞)を付けたと伝えられています。つまり『易』は、順風満帆な時代に作られた哲学書ではなく、幽閉や挫折といった人間の苦境・危機の中で生み出された「生き抜くための智恵」なのです。後に文王の子である周公旦が「爻辞(こうじ)」を加え、さらに孔子が解説(十翼)を加えることで、現在の『周易』の体系が完成しました。
■ 乾卦(けんか)と坤卦(こんか)を丁寧に読み解く
『易』は全六十四卦で構成されていますが、そのすべての根本となり、天地の原理を表すのが一番目の「乾(けん)」と二番目の「坤(こん)」です。本書では、この二つの卦辞・爻辞が丁寧に解読されています。
【乾卦:天の道と剛健な成長のストーリー】
乾卦(☰☰)は、六爻すべてが陽爻(―)で構成され、「天」や「至高の剛健さ」を象徴します。乾の卦辞は「元亨利貞(大いに亨る、貞しきに利あり)」という四つの徳から始まります。
乾卦の六つの段階(爻)は、ドラゴン(龍)の成長過程になぞらえて人間の成長や処世を教えてくれます。
初九「潜龍(せんりょう)用いるなかれ」:まだ実力が備わっておらず、地中に潜んでいる段階。じっと力を蓄え、行動を起こすべきではない時期です。
九二「見龍(けんりょう)田にあり」:地上に姿を現した段階。徳のある指導者や師(大人)に出会うことが有利とされます。
九三「君子終日乾乾(けんけん)とし、夕べには惕若(てきじゃく)たり」:昼夜を問わず努力を重ね、慎重に自己を省みる段階。油断を防ぐことで危険を免れます。
九四「或いは躍りて淵にあり」:跳躍して飛躍するか、淵にとどまって機を待つかの分岐点。状況を見極める柔軟さが求められます。
九五「飛龍天にあり」:天高く飛び立ち、持てる能力をフルに発揮する最高の状態。「同声相応じ、同気相求む」の言葉通り、優れた人々が自然と集まります。
上九「亢龍(こうりょう)悔いあり」:登り詰めすぎて高慢になった状態。進むことだけを知り、退くことを知らないと後悔が生じます。
最高潮に達した「亢龍」の戒めは、現代のビジネスや人生の成功期においても非常に深い教訓を含んでいます。
【坤卦:地の道と柔順・受容の徳】
これに対し、二番目の坤卦(☷☷)は、六爻すべてが陰爻(--)で構成され、「地」や「母性」「受け入れる力」を象徴します。卦辞には「牝馬(ひんば)の貞」「先んずれば迷い、後れれば主を得る」とあります。
乾が能動的に自ら切り開く力であるならば、坤は受容し、育み、従順に支える力です。自分から強引に引っ張ろうとすると迷いますが、流れに従って後からついていけば、大地のように万物を包み込む大きな成果(含弘光大)を得ることができます。
文言伝にある「善を積むの家には、必ず余慶あり」という有名な言葉も、この坤卦の教えから生まれています。
■ 六十四卦の広がりと易占の実践
乾と坤の二つの根本卦を理解したあと、易の世界は六十四卦へと広がっていきます。
本書の巻末には、上卦と下卦の組み合わせによる「六十四卦表」が網羅されています。自然界の要素(天・沢・火・雷・風・水・山・地)と、人間社会のさまざまな状況(例えば、困難を表す「水山蹇」、停滞を表す「天地否」、躍進を表す「雷天大壮」など)がどのように結びついているかが一目で確認できます。
さらに本書の後半では、筮竹(ぜいちく)を用いた正式な「占筮法」から、コイン(擲銭法)やダイスを用いた手軽な易占のやり方まで具体的に解説されています。
易で占うということは、単に未来の吉凶を当てるオカルトではありません。偶然得られた卦のメッセージ(卦辞や爻辞)を読み解くことで、現在の自分の状況を客観的に見つめ直し、これからどのような態度や心構えで臨むべきかを思索する「自己との対話」の手法なのです。
■ おわりに:変化の時代を生き抜く「軸」を得るために
古典を日常の生活や仕事に生かすということは、古代の先人たちと対話し、その知恵を自分の人生に引き寄せるということです。
『古典を読む 易』は、難解に思われがちな易経や漢文の世界を、古代史のドラマや分かりやすい現代語訳を通じて親しみやすく紐解いてくれます。自分自身の現在の立場を「潜龍」なのか「見龍」なのか、あるいは「亢龍」になりかけていないかと振り返るだけでも、日々の判断に大きな視点を与えてくれるはずです。
変化の激しい現代だからこそ、変わらない人間性の本質を突いた古典の智恵に触れてみてはいかがでしょうか。本書は、あなたの日常に深い思索と安心感をもたらしてくれる格好のガイドブックとなるでしょう。
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